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ショートメッセージ2016年7月

7月31日 聖霊降臨後第11主日(ルカ12:13〜21―印刷用PDFはこちら

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そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
(ルカによる福音書12章15節)

 イエス様は一つのたとえを語られました。ある金持ちの畑が豊作だったそうです。彼はその作物をしまっておくために、新しい倉を建てることにします。このとき彼の頭からは、隣人の存在も、神さまのこともすっかり消えてしまっていました。
 周りにいる人たちの中には、奴隷もいたでしょうし、その日食べるものにも困っていた人たちも多くいたでしょう。そのような人たちのことが、彼の頭の中にも、心の中にも、まったく出てきません。そして神さまのことも消えてしまっています。神さまの祝福を得たということに対する感謝も何もないのです。
 なぜそこまで言えるのかといいますと、わたしたちが使う新共同訳聖書では訳されていない「わたしの」という言葉が、原文のギリシア語ではとても強調されているからです。
 「どうしよう。【わたしの】作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。【わたしの】倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに【わたしの】穀物や財産をみなしまい、こう【わたしの】魂に言ってやるのだ。』」
 すべてが、「わたしの」なのです。すべて神さまの恵みを受けていただいたものなのに、彼は「わたしの」ものだと考え、魂さえも、「わたしの」ものだと思ってしまいました。そしてすべてを、自分のためだけに用いようとしたのです。
 貪欲とは欲深く、欲望に任せて物事に執着し、むさぼることです。この金持ちの男の行為こそ貪欲なのだと、イエス様は告げられたのです。
 この金持ちの命は取り上げられます。この「取り上げられる」という言葉も、直訳にすると「返還請求される」という意味です。もう返せ、神さまからそう言われるのです。彼の魂は、彼の物ではなく、神さまのものだからです。
 わたしたちは、この金持ちの男の出来事を聞いて、どう感じるでしょうか。バカな男だと笑っていられるでしょうか。わたしたちはたくさんの物を持っています。財産、食べ物、肉体、それらは誰のものなのでしょうか。自分の力だけで手に入れた物ですか。それとも神さまが祝福のうちに与えてくださったものですか。
 神さまからいただいたものは、お金や物だけではありません。わたしたちは一人ひとり、たくさんの賜物をいただいています。でもそれを、「わたしの」、「わたしの」と言って隠してしまったり、自分のためにだけ用いようとしたりするのでしょうか。
 貪欲は、わたしたちに一番身近な罪なのかもしれません。しかしわたしたちはすべてを捨てて十字架に向かわれたイエス様を知っています。イエス様に倣い、少しでも多く神さまのために自らを用いてもらえるように祈り求めていきましょう。

7月24日 聖霊降臨後第10主日(ルカ11:1〜13―印刷用PDFはこちら

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そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
(ルカによる福音書11章9節)

 「お祈りってなあに?」、そう子どもに聞かれたときに、どう答えるでしょうか。「神さまにありがとうって言うことだよ」、「ごめんなさいって言おうね」、そう答えるかもしれません。しかし今日の場面では、「わたしたちにも祈りを教えてください」と言った弟子たちに、イエス様はこのように答えました。
 「求めよ、探せ、門をたたけ」、この言葉からもわかるように、イエス様はわたしたちに、しきりに願うことを求められています。でもその「願い求める祈り」は、もしかしたらわたしたちはあまりよいものと思っていないのかもしれません。
 そもそもわたしたちは、何のために祈るのでしょうか。「ありがとう」や「ごめんなさい」を神さまに言うため、それもあると思います。しかしそれだけでしょうか。
 弟子たちは「わたしたちにも祈りを教えてください」とイエス様に求めました。それは祈らないと生きていくことのできない自分に気づいたからかもしれません。イエス様が祈る姿を見て、自分たちも祈る必要を心から感じたから、祈りを教えてほしいと願ったのかもしれません。
 しかしわたしたちはどうでしょうか。切実な思いをもって、神さまの前に跪いているでしょうか。神さまを困らせてしまうほど、執拗に願い求めているでしょうか。機械的に、ただきれいな言葉だけを並べて祈ってしまってはいないでしょうか。
 イエス様が教えてくださった祈りは、「父よ」という呼びかけから始まります。「父よ」と呼びかけるのは子どもたちです。周りにいる子どもたちをよく見てください。子どもたちが母親や父親の名前を叫ぶときは、困ったことがあったり、悲しいこと、助けてほしいことがあったときが多いのではないでしょうか。自分で何かをしたいけれども、どうしてもできない、そんなときだと思います。
 わたしたちの祈りも、子どもたちと同じでよいのです。神さまに、「僕、一人じゃ無理だよ」と助けを求めるのです。神さまがいなければ何にもできない。神さまが一緒にいてくれなければ、すぐに倒れてしまう、そのことに気づいてください。すると素直に祈ることができるはずです。神さまに願い、求めるお祈りを。
 教会で、またそれぞれの家庭で、わたしたちは祈ります。それは何故でしょうか。神さまが必要だからです。神さまに導いてもらわないと、道に迷ってしまうからです。だから求めるのです。探すのです。門をたたくのです。
 神さまに執拗に願い求めましょう。祈りは必ず聞かれます。

7月17日 聖霊降臨後第9主日(ルカ10:38〜42―印刷用PDFはこちら

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しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。
(ルカによる福音書10章42節)

 イエス様一行がある村に入ったときに、マルタという女性がイエス様を家に招き入れます。マルタはイエス様一行をもてなそうとして、自分の家に入れました。マルタという名前は「女主人」という意味で、文字通り家のあらゆることを取り仕切っていた人なのでしょう。そしてもう一人の女性も登場します。その名はマリアです。
 マリアはイエス様の足もとに座って、彼の話に聞き入っていました。イエス様の周りには弟子たちもいました。弟子たちもきっと同じように、イエス様の足もとに座って、その話に聞き入っていたことでしょう。
 わたしたちの感覚からすると、別におかしくはない光景です。しかし当時の社会では、これはありえないことでした。そのころ、だれかの足もとに座ってその話を聞くことは、その人の弟子がすることでした。つまりマリアは、イエス様の弟子のようにふるまっていたということです。しかしユダヤ教の教師たちは、女性が自分たちの弟子になることを許していませんでした。話している自分たちの前で、女性がひざまずくことなどは考えられなかったのです。マリアはただ手伝いをさぼっていたのではありません。マリアは社会的に越えてはならないとされていた壁を乗り越えていたのです。
 そしてマルタは、お客さんを迎え入れた家の女性は何をするべきなのか、社会の常識に照らし合わせて考えていたのです。マリアの姿を見たマルタの心は、きっと乱れていたでしょう。イエス様はくるくる働く自分の姿に気づいているのか、気づいていないのか。イエス様や弟子たちをもてなす準備がなかなか進まないイライラもあったことでしょう。そして怒りの矛先は、マリアに向かいます。マリアがいるところは、座ってはいけないところなのです。女性だったらわたしと同じ所に立たなければいけない。わたしと同じように働かなければいけない。
 マルタはいつしか、自分のやっていることだけが正しいと考えてしまいました。いつしかイエス様のための奉仕ではなく、自分中心のことになっていたのです。そしてついには、イエス様にさえ文句を言ってしまうのです。「マリアのことをあなたは何とも思わないのですか」と。
 わたしたちも自分が一生懸命になればなるほど、忙しければ忙しいほど、周りが気になってしまうことはないでしょうか。そのような思い煩いが心の目をさえぎってしまい、本当に大切なことが見えなくなるのです。
 本当に大切なこと、それは、マリアはみ言葉を求めていたということ。そして、マルタのすぐそばに、み言葉があったということです。そのみ言葉に集中することこそ、わたしたちに求められていることなのです。

7月10日 聖霊降臨後第8主日(ルカ10:25〜37―印刷用PDFはこちら

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さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。
(ルカによる福音書10章36節)

 ある律法の専門家がイエス様に質問します。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と。しかしこの質問は真理を求めたいという願いからではなく、イエス様を試そうとしてなされたものでした。
 彼ら律法の専門家は、その名のとおり神さまの掟である律法を忠実に守り、そして研究をしていました。どうすれば神さまのみ心にかなった生活ができるのか、そのことを熱心に考えていたわけです。
 律法の専門家の質問に対し、イエス様は逆に質問を投げかけます。「律法には何と書いてあるか」。そして律法の専門家が「神さまを愛し、隣人を愛すること」だと答えると、「それを実行しなさい」と告げられます。
 「神さまを愛し、隣人を愛すること」。わたしたちの中にはこの言葉を聞いて、「そのようなことなら自分にもできている」と思う人もおられるでしょう。逆に「なんて難しいことをイエス様は言われるのだろう」と感じる方もいると思います。
 なぜそのように違うイメージを持つのでしょうか。それは「隣人」という言葉のニュアンスが、違うように感じられるからなのかもしれません。
 イエス様の時代、律法の専門家をはじめとする多くのユダヤ人は、「隣人」とは自分たちと同じ民族で、なおかつ律法をきちんと守っている人たちだと考えていました。聖書には異邦人や罪人という人たちが多く出てきますが、異邦人とはユダヤ人以外の人たち、罪人とは律法を守っていない人たちのことを指します。彼らはそのような異邦人や罪人と交際することはありませんでした。異邦人や罪人は、彼らの「隣人」ではないのです。
 しかしこのたとえの中でイエス様は、強盗に襲われた人を助けたのは律法を守っているユダヤ人(祭司やレビ人)ではなく、異邦人であるサマリア人であったと語ります。隣人であるはずのない人が、まったく関わりのない人を助けたのです。
 この強盗に襲われた人とサマリア人との関係は、わたしたち一人一人とイエス様との関係でもあるのです。イエス様はボロボロになり、歩くことすらできないわたしたちの元に来られました。道の向こう側を通ってもよかったのです。でもイエス様は関わってくださいました。傷の手当てをし、宿屋に連れて行って、再び歩けるようになるまで世話をしてくださるのです。
 イエス様はわたしたちに手を差し伸べ、隣人として関わってくださいました。そしてわたしたちに、「行って、あなたもおなじようにしなさい」と言われます。ではわたしたちの隣人とは誰でしょうか。

7月3日 聖霊降臨後第7主日(ルカ10:1〜12、17〜20―印刷用PDFはこちら

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平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。
(ルカによる福音書10章6節)

 イエス様は72人を遣わしました。この記事は他の福音書には書かれていません。ではこの72人とは誰のことでしょうか。
 12弟子が宣教した場面は他の福音書にも書かれていますし、またその12人の名前も残っています。またその弟子たちにはそれぞれ、伝説まで残っています。しかしこの72人のことは、名前はおろか、性別も職業も何も書かれてはいません。
 この名もない人たちは、イエス様を信じ、従ってきた一人一人でした。イエス様の時代にいた人たちもその一人だったのでしょう。またこの2000年の間、福音を伝えてきた人たちのことも含まれていると思います。そして今ここにいる、わたしたち一人一人も、この派遣された72人であるのです。
 聖公会は宣教をあまりしないと言われることがあります。日本聖公会の源流である英国教会が、植民地時代に宗教を強要したことに対する反省もあると思います。また宣教は神さまがするものであって、わたしたちはその業にただ参与するのみだという考えもあります。
 確かに宗教を他人に対して押し付けるということは、よくないかもしれません。しかしだからと言って、目の前に神さまを必要としている人がいるのに、神さまの愛に飢えている人を知っているのに、何もしないでいることが神さまのみ心にかなったことなのでしょうか。
 しかしこのようなことを言うと、「では何を伝えればよいか」という方もおられるかもしれません。ここでわたしの思いをお話ししたいと思います。
 わたしがイエス様に出会ったと感じることができたのは、入院中に孤独を関していたときでした。そのときにふとイエス様を感じ、それからずっとイエス様が一緒にいてくださるという確信をもつことができました。
 そしてその思いを伝えたいと強く感じたのです。わたしが一番伝えたかったことは、自分自身が体験したことでした。つまりイエス様がいつも一緒にいてくださるということです。泣いている人がいたらそばに行き、苦しんでいる人がいたら寄り添い、歩くことができなくなった人には手を差し伸べ、そして伝えたいのです。「大丈夫、イエス様がきっと一緒にいてくださるから」と。
 72人は喜んで帰ってきました。彼らは伝えずにはいられなかったのです。イエス様を通して示された神さまの愛を。イエス様が自分たちの元に来てくださったことを。喜びのうちに伝え、喜びのうちに帰ってきました。それが宣教なのです。
 わたしたちがイエス様から頂いたものを独り占めするのですか。周りの人たちに喜びをもって伝えていくのです。

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